スクリーンに映し出す家族・地域との絆映画監督河瀨直美さん
第60 回カンヌ国際映画祭では「殯の森」がグランプリを受賞するなど,国際的に活躍されている映画監督の河瀨直美さん。現在も故郷の奈良で制作活動を続けている河瀨さんは,生まれ育った地域,そして家族への思いを映画のなかで描き続けてきました。京都文化芸術都市創生審議会のメンバーであり,αステーションFM 京都ではレギュラー番組を抱える,京都とも関わりの深い河瀨さん。平成24 年12 月8日に京都で開催されたウィングスフォーラム2012では,河瀨さんの「真のワーク・ライフ・バランス」についてのお話をお聞きすることができました。
【河瀨直美さんプロフィール】
奈良県出身。1997年に「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭の新人監督賞を史上最年少で受賞し,2007年に「殯(もがり)の森」で同映画祭のグランプリを受賞。また,2009年にはカンヌ国際映画祭に貢献した監督に贈られる「黄金の馬車賞」を女性,アジア人として初受賞。最新プロデュース作品「祈 ‒Inori-」がロカルノ国際映画祭で新鋭監督部門のグランプリを受賞した。地元奈良で映画制作を続けながら,「なら国際映画祭」のエグゼクティブディレクターを務めている。
河瀨直美さん インタビュー
◆おばあちゃんとの“つながり”が映画の原点◆
私の作品としては初めて海外で上映された映画である「かたつもり」は,養母とのたわいのない一年間の日常を紡いだ物語です。私がまだお腹にいるときに両親は離婚しまして,作品のなかで「おばあちゃん」と呼ばれている養母に育てられました。当時55歳で0歳の私をひきとって,初めて子育てをしたおばあちゃん。私が映画をつくるうえで欠かせない人でした。日常のなかにあるかけがえのない物語を映したいという思いが,私の創作の原点。おばあちゃんとのなにげない時間を映したこの作品からも,足元にある世界が素晴らしい物語なんだと気づかせてもらいました。
今の社会では孤独を感じることが多いため,つながっていることの安心感を得たくてネット上でも簡単につながりのことが語られます。でも誰もがお母さんのお腹のなかから産まれてきているわけで,すべての人はちゃんと誰かとつながっている。そんな思いを伝えたい作品でもありますね。
◆仕事は体あたり。自分にできることをする◆
「かたつもり」を撮影していた20代のなか頃は,映画を撮る資金がなくて。同時期に書いた「萌の朱雀」の脚本と映画の企画書を持って,故郷の奈良県にある西吉野村の役場に「ここで映画を撮りたいです」っていきなりお願いに行きました。撮影が始まりボランティアの告知が必要となったら,奈良県内の新聞社に私を取材してもらうようにお願いに行って。そんな風に体あたりで映画をつくっていきました。絶対に曲げないという意志を持って歩いていけば,何か力が寄り集まってくるというか,たくさんの人が協力してくれるのだと感じましたね。
その頃よく,「女性で映画監督っていうのは苦労するでしょ」と言われたのですが,私は自分に備わった役割,得意なことを活かして,自分にできることをすればいいのだと考えて仕事をしていました。
◆周りの協力を得るためには,正直な思いを伝えること◆
「殯の森」を撮影していた時期に私は2歳の息子を育てて,認知症の92歳のおばあちゃんの介護もしていました。育児と介護の両方を抱えるストレスのなかで,介護をする家族は身を切られるような思いがあるんだなぁと感じたり,地域がそれを支えていく必要性を実感しました。私たちは,家族の面倒を誰かにみてもらうことに,なんだか後ろめたさみたいなものを感じますよね。私も最初はそうでした。
それでも映画を撮りたいっていう強い思いがあって,もう周りに甘えるしかなかったです。「殯の森」は認知症の老人が主人公なのですが,スタッフからの理解を得て撮影現場におばあちゃんを連れて行きました。息子は保育園に預けていましたが,夕ごはんを作る時間がないので,現場のごはんをもらって帰ってきたり。近所の人に協力してもらうこともありました。
そのような経験から,周囲の協力を得るためには,まずは自分の状況を正直に打ち明けることが大切だと実感しましたね。困っていることやお願いしたいことを,具体的に伝えるのです。この時間に息子を迎えに行ってほしいとか,今晩の夕飯の材料の豚バラ肉を買ってきて欲しいとか。そうすれば,だいたいの人はその困っている部分に力を貸してくれます。また自分自身も物事が整理されて,明確になることがあります。
◆育児と介護があったから,完成した作品もある◆
私が「殯の森」をこの世に誕生させることができたのも,育児と介護を両立した経験があってこそだと思っています。両立は本当に大変でしたけれどね。息子に授乳していた時は,夜中でも2時間おきに起きなければならなかったのですが,そこにおばあちゃんの夜間のトイレ介助が重なって。両方をこなしていくことは難しいこともあり,おばあちゃんに対するケアが不十分となったこともありました。その結果転倒させてしまったり,おばあちゃんを不安な気持ちにさせてしまうこともあり,自己嫌悪におちいりました。
悩みながらも,介護からは多くのことを学びました。認知症の方の立場で物事を考えたことで,いろいろな人の気持ちを理解できるようになり,どうすれば物事がスムーズに運べるかということを想像できるようになりました。息子にとっても90歳も年の離れたおばあちゃんと触れ合う時間はかけがえがなく,とても貴重な経験となったでしょうね。今はもうおばあちゃんは亡くなりましたが,息子の記憶には彼女の姿,匂い,肌触りが必ず残っていくことだと思います。
◆家事も育児もこなす夫は精神的な支えにも◆
家を空けることの多い映画監督の仕事と子育てを両立していくためには,夫の協力も不可欠といえます。私が不在の場合は,夫が掃除や洗濯などの家事全般と息子の世話をしていますし。字が読めるようになるまで,寝る前の読み聞かせも本好きの夫の仕事でした。そのおかげで,息子は今では本が大好き。私のいない週末は,2人で図書館で一日過ごすこともあるようです。息子が小学校に入学するまでは,できるだけ仕事を休んで,私の海外出張にも同行してくれました。私が仕事をしている間は,現地の動物園や水族館,公園に息子を連れて行ってくれました。
それから,夫は精神面でも大きな支えです。表現の仕事はなかなか人には理解してもらえない孤独な世界ですが,夫が何気なく話す言葉に刺激をうけたり,自信を持てることがありますね。
◆ふるさとと映画。私が結びつけられるもの◆
私は映画監督として,自分が生まれ育った奈良に何を返すことができるのだろうって考えて,国際映画祭を立ち上げました。2010年の平城遷都1300年記念事業のときに,記念すべき第一回目を奈良で開催することができました。私が一番望むことは,その映画祭を通して,自分たちの住む町を誇りに思ってもらうこと。そして生きている今を大切にしたいという気持ちを,次世代にも刻んでいって欲しいと思います。
それから,奈良が物語をもってこの先歩み始めるようにという願いを込めて,ナラティブプロジェクトというものを立ち上げました。物語性っていう意味の英語,ナレイティブと奈良をかけて。私がプロデューサーで,世界の若手監督と奈良で映画を撮るというものです。映画祭で映画をみせるだけではなくて,奈良で何かを新しく生みだしていくということに,可能性を感じています。
(*2013年3月発行 ”別冊 男女共同参画通信ー「真のワーク・ライフ・バランス」-”より)